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名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)1249号 判決

原告

間瀬はつ

ほか三名

被告

愛知県

ほか二名

主文

一  被告らは各自原告間瀬はつに対し、金一二三万八、六二四円〔更正決定金三二五万二、八九九円〕およびうち金一一二万八、六二四円〔更正決定金三〇一万二、八九九円〕に対する被告菱倉運輸株式会社については昭和四七年六月六日からその余の被告については同月四日から、うち金一一万円〔更正決定金二四万円〕に対する本判決言渡の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員、原告間瀬恒平に対し金七二万三、五二〇円〔更正決定金二〇一万八、三九四円〕およびうち金六六万三、五二〇円〔更正決定金一八五万八、三九四円〕に対する被告菱倉運輸株式会社については同月六日から、その余の被告については同月四日から、うち金六万円〔更正決定金一六万円〕に対する本判決言渡しの日の翌日から同支払済みまで右同割合による金員、その余の原告らに対し各金七〇万五、五一八円〔更正決定金一九八万七、九三四円〕およびうち各金六四万五、五一八円〔更正決定金一八二万七、九三四円〕に対する被告菱倉運輸株式会社については同月六日から、その余の被告については同月四日から、うち各金六万円〔更正決定金一六万円〕に対する本判決言渡しの日の翌日から、各支払済みまで右同割合による金員を各支払え。

二  原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一〔更正決定その四〕を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  本判決は原告ら勝訴部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自連帯して原告間瀬はつに対し、金九二五万五、三五〇円、原告間瀬恒平に対し、金五五七万五、五〇六円、原告間瀬京子、同小島郁子に対し、各金五〇七万五、五〇六円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 発生日時 昭和四六年一一月一九日午後四時四五分頃

(二) 発生場所 名古屋市中区二の丸一番一号地先道路上

(三) 加害車 被告小山田運転被告菱倉運輸株式会社(以下被告会社という)所有の普通貨物自動車(名古屋う四五四〇号、以下単に被告車という)

(四) 被害者 訴外亡間瀬順平(以下単に亡順平という)

(五) 事故態様 訴外戸塚賀須雄、同長瀬征治(いずれも愛知県中警察署交通課勤務)が亡順平の起した追突事故に関し、同亡人らを立会わせて実況見分を実施中同亡人に被告車が激突した。

(六) 事故の結果 亡順平は中区三の丸所在の名城病院に収容されたが、同月二〇日頭蓋底骨折、脳挫傷により死亡した。

2  訴外戸塚、同長瀬の過失

路上で実況見分を行なう場合担当警察官としては事故現場から相当離れた地点に事故処理中である旨の表示を行なうなど、通行車両に事故現場に対する注意を喚起する措置を講じ、事故の発生を未然に防止すべき注意義務(昭和三九年一二月九日制定、交通事故取扱要領第2)があるのに何等これらの措置をなさず、亡順平を交通頻繁な且つ危険な前記路上に立たしめていたため、被告小山田運転の被告車に激突され、路上に転倒させられた。

3  被告小山田の過失

被告小山田は、被告車を運転し、時速約三五キロメートルで市道丸の内線をマイクロバスに追随して東進中、前記場所に差しかかつた際、右マイクロバスを、その左側から追越そうとしたが、同車の車体に妨げられ、同車の前方の見通しが不良であつたのであるから、進路および左右を厳重に注視し、左側車線の交通の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り前方注視不十分のまま、左側車線に進路を変え、時速約四〇キロメートルに加速して進行した過失により、折から進路前方道路上に佇立中の亡順平を約四メートルの至近距離にはじめて発見したものの、急停車の措置をとるいとまもなく、自車前部を同亡人に衝突させて路上に転倒させ、よつて同亡人を前記の如く死亡するに至らせた。

4  被告らの責任

本件事故は、前記のとおり訴外長瀬、同戸塚両巡査並びに被告小山田の過失によつて発生したものである。従つて被告小山田は不法行為者として民法七〇九条に基づき、被告会社は被告車を所有しこれを自己のため運行の用に供する者として自賠法三条に基づき、被告愛知県は、本件事故が、その公権力の行使に当る職員である訴外戸塚、同長瀬の、その職務を行うについての過失により発生したものであるから、国家賠償法一条に基づき、夫々原告らに対し、連帯して次項の損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

(一) 入院費 金一一万九、八三三円

(二) 葬儀費等 金三七万三、六六一円

(1) 御布施料 金三万八、五〇〇円

(2) 院号料 金二万円

(3) 納骨料 金三万円

(4) 葬祭具店支払費 金一八万五、〇〇〇円

(5) 葬儀接待費 金八万九、一六一円

(6) 死体運搬費 金四、〇〇〇円

(7) 運転手心付 金七、〇〇〇円

(三) 三五日の費用 金四万六、一三〇円

(四) 雑費 金二万二、三〇〇円

(五) 損益相殺

(一)の入院費については、被告会社が直接支払つた外、その頃被告会社から葬儀費用として金三五万円を受領したので、これを右(二)(三)(四)の費用に充当した。従つて右金額の内、原告はつの負担した金額は残額の金九万二、〇九一円となる。

(六) 亡順平の逸失利益

亡順平は、従業員四名位を雇つて鈑金業を経営し、昭和四六年度の場合は、本件事故によつて死亡するまでの約一一ケ月間において金一、一八三万九、六一〇円の収入を得、これから売上原価(二八九万三、〇四二円)、必要経費(六〇〇万二、二二六円)を控除すると、金二九四万四、三四二円の純益があり、これの一ケ月平均純益は金二六万七、六六七円であるから、この金額を加算した金三二一万二、〇〇九円が、亡順平の本件事故に遭遇した年度の一ケ年間の純益となる。

ところで亡順平は、本件事故当時五四才の極めて健康な男子であつたし、それに右鈑金業の経営者として、その業務内容等からしても、若し本件事故に遭遇しなければ、向後一五年間は十分に稼働し得、その間右金額を下らない収入を挙け得ることは後記のとおり、実用新案登録等の関係からも可能であつた。

而して同人の年間生活費は、金九六万三、六〇〇円であるから、これを控除した年額金二二四万八、四〇九円の一五年分よりホフマン式計算法により、年五分の割合による中間利息を控除すると金二、四六八万九、七七九円となるところ自賠責保険より金五〇〇万円の給付を受けているので、これを右逸失利益の一部に充当した。するとその残額は金一、九六八万九、七七九円となり、同額の損害賠償を請求し得るから、これを原告らは、その身分関係に基き各相続分に応じて、

原告はつは、三分の一に当る金六五六万三、二五九円他の原告三名は、各九分の二に当る各金四三七万五、五〇六円

の権利を夫々承継取得した。

(七) 慰藉料 合計金四五〇万円

(1) 亡順平の慰藉料

亡順平は、昭和二二年頃から鈑金業を経営し、その業績も順調に伸び、数年前から数名の従業員を雇用するまでに発展し昨年五月にはかねて考案していた油揚げ、生揚げ成型箱につき特許庁に対し実用新案登録の出願をし、同年六月七日には正式に受理され、許可のおりる日も近く、将来の実用化に多大の希望と意欲をもつており、特に長男恒平(当時愛知工業大学工学部機械科三年在学)の卒業を心待ちにし、その習得してきた知識と技術に大きな期待をよせ将来はそうした長男の協力によつて事業拡大への希望をもつてきたのであるが、本件事故により非業の死を遂げたため、それらの希望も期待も水泡に帰したばかりか、幾多の甚大な苦痛を受けたので、その慰藉料は、金九〇万円をもつて相当とし、原告らはその身分関係に基き、前記割合により

原告はつは 金三〇万円

他の原告三名は 各金二〇万円。

の権利を夫々承継取得した。

(2) 原告らの慰藉料

原告はつは、亡順平の妻、その余の原告らはいずれも亡順平と原告はつとの間に生まれた子で、原告恒平は愛知工業大学に同京子は京都女子短期大学に夫々在学し、原告らがいずれも亡順平に依存してきたので、本件事故で順平を失つた悲しみと今後の生活への不安は筆舌に尽し難く、原告はつの如きは、その衝撃と従業員及び取引先への収拾等のため狼狽し健康に異常をきたして寝込み、医師の診断を受けた程であつた。そして原告恒平は、亡順平の後を継がねばならないため、あと一年で卒業できるのに、これを断念し本件事故以来、右大学を休学している状態である。

それら諸般の事情から、原告らの受けた幾多の苦痛は計り知れないものがあり、いまこれを慰藉するのに、原告はつに対し金一六〇万円、原告恒平に対し金一〇〇万円、その余の原告に対し各金五〇万円が相当である。

(八) 弁護士費用 金七〇万円

原告はつは、被告らがその責任を争い、自賠責保険金以上の支払責任を認めないので、訴訟委任のため本訴代理人に手数料として金二〇万円を支払い、後日報酬として金五〇万円を支払うべく約したが、これも本件事故に基く損害である。

6  結論

よつて被告らに対し、原告はつは金九二五万五、三五〇円、原告恒平は金五五七万五、五〇六円、原告京子および同小島郁子は、いずれも各金五〇七万五、五〇六円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため、本訴に及んだ。

二  請求原因に対する被告会社、同小山田の認否

1  請求原因1中(一)記載の日時に(二)記載の場所で交通事故が発生したことは認める。その余は争う。

2  同2は争う。

3  同3中冒頭から「前記場所に差しかかつた際」まで、および「折から進路前方」から同項終りまでは認め、その余は争う。

4  同4中被告会社および同小山田に関する部分は否認する。

5  同5中(五)記載の被告会社が入院費を支払つたことおよび葬儀費用として金三五万円を支払つたことは認め、その余は不知。

6  同6は否認する。

三  請求原因に対する被告愛知県の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は争う。

3  同3の事実は被告車の速度を除き全て認める。

4  同4のうち被告愛知県の責任は争う。

5  同5中(五)記載の入院費金一一万九、八三三円、葬儀費用金三五万円および(六)記載の自賠責保険金五〇〇万円が各支払われていることは認め、その余はいずれも不知。

6  同6は争う。

四  被告愛知県の主張

1  無過失・過失相殺の主張

(一) 本件交通事故は、専ら被告小山田の前方不注視の過失によつて発生したもので、訴外戸塚、同長瀬には何ら過失はない。

即ち、本件道路の状況に鑑み、衝突地点を先ず確定し、衝突地点を基準として必要最少限度に於て交通事故防止器材等を設置すべきことは、本件道路における他の車両の交通の円滑との調和から当然の措置である。本件においては右衝突地点が確定できなかつたため、事故防止器材の設置はしてなかつたものの、訴外長瀬において事故処理関係者の安全を確保するために交通整理を行つており、本件事故現場を進行する車両に対し、事故現場への注意を喚起し、事故の発生を未然に防止する措置を講じていたのであるから、訴外戸塚、同長瀬には何んら過失はなかつたのである。

(二) 交通事故取扱要領の第2事故の取扱7危害防止(2)には、「現場に到着したときは、直ちに実況見分に着手することなく交通整理にあたる者を配置し、現場から相当離れた地点に事故処理中である旨の表示を行う等、危険を回避し得る措置を講じたうえ行うこと」との規定があるが、右規定は事故を処理する警察官をして、事故現場並びに発生事故の状況等に応じて妥当な危険回避のための措置を講じせしめる趣旨の訓示規定と解すべきである。本件においては、実況見分に着手する以前に衝突地点を確定して事故防止器材を配置することが出来なかつた。

他方、本件道路は、車両の交通量の多い道路で、徒らに事故防止器材等を配置すれば、車両の交通渋滞を招くことは明白であつた。

そこで、これを回避するために、先ず右長瀬が事故の発生を防止するために交通整理を行い、その保護下において戸塚等が本件道路上で衝突地点を確定した後必要最少限度に事故処理中の表示等の事故防止器材を配置しようとしたものである。

従つて、戸塚・長瀬の右措置は、右本件道路の状況並びに衝突地点を実況見分に着手する以前に確定しえなかつたという点に鑑み、右交通事故取扱要領に違反するものではなく、警察官としての注意義務に欠けるものではない。

(三) 間瀬順平等が衝突地点を確定するために本件車道上に出た午後四時四二分頃から、本件事故が発生した午後四時四五分頃迄の約三分間に、本件現場を通過する車両は、全て長瀬の交通整理に従つて走行しており、被告小山田においても、前方を注視してさえいれば、本件現場において事故処理がなされていることを容易に予知しえた筈である。

然るに同被告は、前方不注視のまま漫然と進行した過失により本件事故が発生したものであり、仮に戸塚等において事故処理中の表示を本件現場の前方(西方)に設置していたとしても、被告小山田においてこれに注意を払わない以上本件事故は回避できなかつたものと言わねばならない。

(四) 仮りに、本件事故につき、訴外戸塚・同長瀬にも過失があつたとしても、次のとおり過失相殺されるべきである。

即ち、間瀬順平は、交通頻繁な本件車道上へ自己の意思で出たものであり、右道路の交通状況並びに戸塚等の事故防止のための措置の状況に応じて、自らも事故の危険を回避するための注意をすべきであつたのに、漫然と進行車両に背を向けて佇立していた過失も一因となつて、本件事故が発生したものである。

五  被告県の主張に対する原告の認否

1  抗弁1の(一)中被告小山田に過失があつたことは認めるが、その余は争う。(二)のうち同項記載の交通事故取扱要領規定が存することは認めるが、その余は争う。(三)のうち被告小山田に過失があつたことは認め、その余は争う。(四)は否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1(交通事故の発生)のうち(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、(三)ないし(五)の事実は、〔証拠略〕により認めることができ、(六)の事実は被告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

二  本件事故発生現場の状況

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

1  本件事故発生現場の概況は、別紙見取図に示すとおりである。

2  本件事故発生現場は、名古屋市中区二の丸一番一号地先の東西に通しる通称市道丸の内線(以下単に丸の内線という)の北側(東行)車線上であるが、右丸の内線は、片側五車線の舗装された平坦な直線道路で、中央に幅三・五メートルの分離帯を挾んで、南北両側にいずれも幅員一七メートルの車道が走つている。それぞれの車道の外側には歩道が存するが、該歩道の幅員は北側のそれが七・〇メートル、南側のそれが六・〇メートルである。

3  本件事故現場の西方は、南北に走る舗装された直線道路との十字路交差点(以下本件交差点という)になつており、該交差点では信号機による交通整理が行われ、交差点の東西に丸の内線を南北に渡る横断歩道が設けられている。

4  現場付近は市街地で、交通頻繁である。

5  現場には制限速度毎時五〇キロメートルの交通規制がなされている。

6  事故当時の天候は晴れで、東行第一車線上には駐車車両が列をなしており、第二車線にも後記のとおり第一事故関係車並びに愛知県中警察署の事故処理車が駐車していた。

三  第一事故の発生とその実況見分並びに本件事故の発生

1  (第一事故)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

本件現場において、本件事故が発生する約三五分前(昭和四六年一一月一九日午後四時一〇分頃)に左の追突事故(以下単に第一事故という)が発生した。

丸の内線の東行第三車線を東進していた亡順平が、同車線上に停止した訴外渡辺勉運転の先行車に追突し、右渡辺運転車が前方に押出されて更に一台前の訴外花村某運転の車に追突し、このため右花村が頸部を負傷した。

2  (訴外戸塚、同長瀬の行動)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

右第一事故発生の通報により愛知県警察本部統制司令室から現場へ赴くべく指令を受けた愛知県中警察署交通課事故処理係の警察官巡査長訴外戸塚賀須雄、同巡査訴外長瀬征治の両名はセーフテイコーン、三角ブレーキ等各種危険防止器材その他ステレオカメラ等の事故処理器材を積載した事故処理車(ほゞいわゆるマイクロバスと同形、車屋根に赤色点滅灯が装置されている)に搭乗して現場へ向かい、第一事故発生後一〇ないし一五分で現場へ到着した。当時丸の内線東行車線には、前記のとおり第一車線(以下第何車線とはすべて東行車線のそれを意味する)上に駐車車両が列をなしており、その内側の第二車線上、別紙見取図〈順〉、〈渡〉、〈ハ〉の位置にそれぞれ二重駐車の形で西から順に亡順平車、渡辺車、愛知県東警察署所属のパトロールカーが駐車していたので、右事故処理車は渡辺車とパトロールカーとの間の別紙見取図〈処〉の位置に、赤色点滅灯を点滅させたまゝ駐車した。それから時を置かずして、右パトロールカーは負傷した前記花村を病院へ収容するべく同人を搭乗させて現場から走り去つた。訴外戸塚、同長瀬は、初め第二車線上の亡順平車と渡辺車との間で亡順平、訴外渡辺両名から第一事故の状況につき説明を受け、次いで訴外戸塚は、直ちに同長瀬を補助者として実況見分を実施しようと考え、亡順平、訴外渡辺から追突地点の指示を受けるべく、両名を従えて二重に駐車する車両の間を縫つて西方へ数メートル移動し、別紙見取図⇒印の地点に至つて、その場から路上の追突地点を訴外渡辺に指示させたのであるが、折から偶々本件交差点の東西方向の信号が赤になり、現場を通過する車両の数が殆んど無くなつたので、訴外戸塚はその間に路上に出て直接各地点の指示を受けようと考え、自らが先導して右⇒印地点より、南方の第三車線上へ出て行き、同じく訴外戸塚に従つて来ていた訴外長瀬に現場の西方に立つて交通整理に当るよう指示を与えた後、亡順平、訴外渡辺の両名を促して第一事故の各追突地点を第三車線上にて指示させ始めた。一方訴外長瀬も、同戸塚の指示に基づき、右路上指示の開始地点より西方約一〇メートルの見取図〈整〉地点に佇立して、西方を向き手信号にて交通整理を開始した。この際訴外戸塚、同長瀬らとしては、現場が交通頻繁な幹線道路であり、必要以上の交通規制を行なえば、交通渋滞をきたして混乱を招き兼ねないことを慮り先ず路上で追突地点を指示させてこれを特定し、しかる後に第三車線上の、交通阻害を最少限に止めうる位置に事故処理車を駐車せしめ、危険防止器材を配置して、検尺等に入ろうと考えていたのである。

そして、訴外戸塚は、同長瀬が前記〈整〉地点で西方を向き手信号で東進する車両を第二車線と第四、第五車線とに振り分けている間に、訴外渡辺、亡順平から前記⇒印地点南方の第三車線上、見取図〈指〉の地点が、亡順平車の渡辺車に追突した地点であるとの指示を受けたので同所にチヨークで○印を付けた。次いで訴外戸塚は、渡辺車が花村車に追突した地点の指示を受けるべく、同車線上を東方へ約七メートル移動して見取図〈e〉地点を該地点であると指示され、前同様路上にチヨークで○印を書き付けた。一方訴外長瀬も、同戸塚らが〈指〉地点より〈e〉地点に移動するに伴つて、前記〈整〉地点より東方へ約一三メートル移動して見取図〈d〉地点に至り、同所で前同様、西方を向いて東進する車両の交通整理に当たつていた。このとき本件交差点東西方向の信号が青に変り、交差点西方に停止していた多数の車両が、一勢に発進して交差点を通過して現場へと殺到してきたが右交通整理に従つて二手に分れて流れていた。

そして訴外戸塚がチヨークで二番目の○印をつけ終わり、同渡辺が同戸塚の傍、見取図〈目〉地点で追突地点の位置を確認しつつあるとき、亡順平は、再度前記亡順平車・渡辺車追突地点(見取図〈指〉地点)並びに同地点と右〈e〉地点の位置関係を確認するべく、西方へ歩いて行つた。同亡人が見取図〈e〉地点より約五メートル西方へ移動し、前記交通整理地点〈d〉より数十センチメートル西方へ進出した見取図〈×〉地点に至つたとき、東西方向の青信号に従つて交差点を通過し、現場へ向かつて第四車線上を東進中であつた一台のマイクロバスの陰から、突然被告車が第三車線上へ進出して来、亡順平は退避する暇もなくこれに激突されたものである。

右本件事故は訴外戸塚、亡順平らが第三車線上へ出て来てから約二分経過したときに発生した。その間東西方向の信号は前記赤から青に変つた時以外、変化したことはなかつた。

乙第三号証(訴外渡辺の公判(証人)調書写)中には、亡順平、訴外渡辺らが、本件交差点の東側横断歩道より第三車線上へと出た旨の供述が存するが、前記見取図=地点から、第三車線上の追突地点を指示した後、わざわざ迂回して第三車線上へ出ることは不自然であるので、措信できず、乙第四(訴外戸塚の公判(証人)調書写)、第五(訴外長瀬の公判(証人)調書写)号証中の、訴外戸塚が亡順平らを指示して第三車線上へ連れ出したことはなく(第四号証)、また訴外戸塚が同長瀬に交通整理をするよう指示したこともない(第四、第五号証)旨の供述は、いずれも本件事故の当事者として責任を回避せんがための供述と思われ、乙第三号証に照らし措信できないばかりでなく、特に、亡順平らに対する第三車線上へ出る旨の指示がなかつたとする点については、仮りに現実にはその旨の指示的な言辞が発せられなかつたものとしても、現に訴外戸塚が、亡順平らを従えて第三車線上へ出て行き、亡順平らに対し何らの引止め措置も講ずることなく、直ちに路上における事故地点指示を求めてその特定を急いだ事実がある以上、これを以て右第三車線上へ出ることについても遡つて積極的な指示を与えたに等しいものと認めるのが相当であるから、前記認定の妨げになるものではない。

3  (被告小山田の行動)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

被告小山田は、被告車を運転して丸の内線の東行第四車線上を東進してきて西方より本件交差点にさしかかつたのであるが、同交差点の東西方向の信号が赤であつたため先行車に続いて、交差点の西側約四六メートルの地点で前方、左右を一団の車両群に囲まれた形で停車した。その際被告車の前方には先行車が七、八台停車していたが、被告車の前二台は普通乗用車で更にその前方はマイクロバスであつた。

次いで前記信号が青に変わり、被告小山田も一団の車両群と共に一斉に発進し加速しつつ交差点を通過し(この時には、前記マイクロバスと被告車との間に他の車両はいなくなつており、被告車は、マイクロバスの直ぐ後方をこれとの車間距離を徐々に縮めながら追従していた)、時速約四五キロメートルで本件交差点東側横断歩道付近の見取図〈1〉地点に至つたとき、第五車線上を右後方から接近して来た一台の白色普通乗用車(以下白色車という)が被告車と並進状態(見取図〈a〉)となり、次いで被告車を追い抜いて行つた。そして、被告車が更に一一・五メートル東進して見取図〈2〉地点に至つたとき(このとき、東行車線の車両の流れは、訴外長瀬の交通整理により、二手に振り分けられており、第三車線上を走行する車両はなく空いていた。)、被告小山田は右白色車が第五車線から被告車の走行する第四車線の方へ左寄りに進路を変更して見取図〈b〉地点に至り、同時にストツプランプを点けているのを認め、加えて見取図〈c〉地点を被告車に先行して進行するマイクロバスが、被告車より速度が遅かつたため、同被告は、第三車線へ進出すれば前記白色車およびマイクロバスとの関係を考慮せずに楽に進行できるであろうと考え、被告車左サイドミラー並びにルームミラーで左後方の安全を確認しつつ、アクセルを踏んで加速し、ハンドルを左に転把して第三車線へと進路を変更した。そして被告車が右マイクロバスの陰から時速五〇キロメートルで第三車線へ進出した直後被告小山田は第三車線上、見取図〈d〉および〈×〉地点にそれぞれ佇立する訴外長瀬と亡順平とを、前方約四メートルに至つて初めて発見したが、衝突を回避するための急制動等の措置を講ずる暇もなく、被告車を亡順平に激突せしめたものである。

四  訴外戸塚、同長瀬の責任

そこで以下本件事故の発生につき訴外戸塚、同長瀬らに過失があつたか否かを検討する。

一般に、交通事故が発生し、警察官が現場において実況見分等の事故処理を行うに当たつては、いやしくも当該事故関係者や他の一般通行人らの生命身体に危険が及ぶことのないよう万全の措置を講じたうえでこれをなすべき注意義務があることは、警察法二条一項、警察官職務執行法四条一項、道路交通法六条一項、四項、七二条三項の各趣旨に照らして多言を要しないところである。更に〔証拠略〕によれば、愛知県警察本部長の制定した交通事故取扱要領(昭和三九年一二月九日交一発甲第六五三号)中には、かかる事故処理に関する具体的指針として、警察官は事故現場では事故の再発を防止するべく応急の措置を講じまた現場に到着しても直ちに実況見分に着手することなく交通整理にあたる者を配置し、現場から相当離れた地点に事故処理中である旨の表示(以下単に事故処理表示という)を行う等、危険を回避し得る措置を講じたうえでこれを行うべきことが定められており、この趣旨を徹底するべく、右交通事故取扱要領は、交通事故の処理に当たる警察官が所持するべき「実務必携」中に収められていること、が認められるのであつて、訴外戸塚、同長瀬が第一事故の事故処理を行うに当り、事故現場が交通頻繁な幹線道路上である関係で、東行車線の全交通を遮断することを避け、事故の発生した第三車線以外の車線上の車両の通行を保つたまま追突地点特定のため亡順平ら事故当事者を路上(第三車線上)に立たしめる必要があつたことは首肯しうるとしてもこのような場合には、西方より現場へ来進する車両群に対し現場から相当離れた地点に赤色点滅灯を作動させた事故処理車を配置するなどして事故処理中である旨を明らかに表示し、これら車両群に現場を通行する際の注意と警戒を喚起したうえ、適切な交通整理を行い以て路上(第三車線上)に佇立する亡順平らの生命身体に対する危険を防止する十分な措置を講ずべき注意義務があるといわなければならない。しかもそして本件の場合には丸の内線の広さ、交通量の多いこと、第一事故の発生場所が東行車線の真中である第三車線上であつたこと等に照らせば、多くの車両が四本の車線上を東進して現場に来進する際、追い抜きや或いは進路の変更をしたり追い越しをするなどして刻々その位置関係が変動し、各車両の運転者の視界が大きく変化することも当然予想されるのであるから、事故処理中である旨の表示を欠いた場合には、訴外長瀬が交通整理に当つている地点の直前に至るまでこれを視認できずにいる車両が、現場での注意と警戒を怠り、突然亡順平らに向つて進行してくることも充分予想されること故、第一事故の事故処理としては、右事故処理車による事故処理中である旨の表示と交通整理とが充分なされることによりはじめて危険防止に十分な措置をとつたものと評価されるべきである。

被告愛知県は、本件現場は交通量の多い道路であるから徒らに事故防止器材を配置すれば交通渋滞を招く、訴外戸塚、同長瀬は先ず交通整理の保護下に路上で衝突地点を確定し、しかる後に必要最少限度の交通規制を行おうとしたものであつて、同訴外人らに過失はない旨主張するが、たとえ如何に交通量の多い幹線道路であり、加えて事故時現場はいわゆるラツシユ状態にあつた(〔証拠略〕によれば第一事故発生直前の現場東方の交通は渋滞していたことが認められる)としても、その事実が前記亡順平らの生命身体に対する危険を防止するための十分な措置を講ずべき注意義務を軽減する事情とは決してなり得ないと言うべきである。

しかるところ、訴外戸塚、同長瀬は前記認定のとおり、丸の内線を東進し本件交差点を通過して西方から現場へ来進してくる車両群に対して、現場西方に事故処理車を配置し、その赤色点滅灯を作動させるなどの十分な事故処理中である旨の表示することなく、事故処理車は亡順平が被告車に衝突された地点から約二〇メートル東方の見取図〈処〉地点に駐車せしめたまま、単に訴外長瀬が両手で車の流れを二手に振り分ける交通整理を実施したのみなのであつて、これは明らかに前記事故処理に当たる警察官に課さられた注意義務に違反するものと断ずべきである。そしてこのことは、本件事故発生原因の大半が、被告小山田の進路変更の際の安全不確認の過失にあるとしても、前記事故処理表示がなされ、同被告に対し現場を通行するについて事前に警戒を与えていたならば、同被告において進路変更をなすことはなく、従つて本件事故は未然に防止し得たものであること明らかであるから、訴外戸塚の過失と本件事故との因果関係は否定することはできない。

然しながら、〔証拠略〕によれば前記交通事故取扱要領中には、事故処理の現場指揮は、巡査長以上の警察官がこれに当るべき旨定められていることが認められ、本件の場合は訴外戸塚が第一事故の事故処理に関し現場指揮の任務を負つていたというべきであるから、同長瀬は、同戸塚の指揮に従つて行動していたに過ぎないものと認めるべきである。従つて前記過失は専ら訴外戸塚に存したものと認めるのが相当である。

五  過失相殺の主張について

亡順平が訴外戸塚の指示に従つて第一事故の処理に協力していたものであることは、前記認定のとおりであるところ、通常、交通関与者は、警察官の指示を受けた場合には、当該指示が必ずしも拘束性を有しないものであるとはいえ、道路交通上の危険の防止につき職責を有する者からの指示として、これに厚い信頼を置いて、該指示に従うであろうことは、道路交通法上の諸規定に照らしても見易い事理であり、特段の事情の認められない限り、右指示に従うことを以て、当該交通関与者の過失ないし不注意とすることはできない。本件においても亡順平が訴外戸塚の指示に従つたことにつき、右特段の事情があつたものとは認められないから、被告愛知県の主張は排斥を免かれない。

六  被告小山田の過失

前記三2認定の事実によれば、被告小山田は被告車を運転して時速約四五キロメートルで丸の内線第四車線上を東進中、進路を変更して同車線上から左側の第三車線上へ進出せんとするに際し、同車線上の前方並びに後方の安全を十分確認したうえで進路変更を開始し、以て同車線上の人車との衝突を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然サイドミラーとルームミラーとで同車線後方の安全を確認したのみで、前方の安全を確認しないまま、時速約五〇キロメートルに加速して進路を変更を開始した点に過失が存し右過失により、同車線上に佇立していた亡順平を約四メートル手前に至つて初めて発見したが、衝突を回避する何らの措置を講ずる暇もなく、被告車を同亡人に激突せしめたものであることが認められる。

七  被告会社、同小山田の責任

本件事故の発生につき被告小山田に過失があつたこと前記認定のとおりであるから同被告は民法七〇九条により、また前出乙九号証によれば被告会社は、被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたことが認められるから、被告会社は自賠法三条によりそれぞれ原告らの後記損害を賠償する義務がある。

八  被告愛知県の責任

前記四認定のとおり本件事故は、訴外戸塚の過失により発生したものであるところ、同訴外人が被告愛知県の公権力の行使に当る職員であつて、本件事故がその職務の執行中に発生したものであることは、同被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなし、以上の事実によれば、同被告は国家賠償法一条一項により原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

九  損害

1  入院費 金一一万九、八三三円

亡順平が名城病院に入院中その費用として金一一万九、八三三円を要した事実については当事者間に争いがないところ、後記認定の亡順平と原告らとの家族関係並びに弁論の全趣旨により、右は原告はつに生じた損害であると認める。

2  葬儀費用 金三五万円

〔証拠略〕によれば、亡順平の葬式法要は同原告が喪主としてこれを主宰したことが認められるところ、亡順平の年令、社会的地位、家庭環境、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係ある葬儀費用の損害としては金三五万円をもつて相当とする。そして後記認定の亡順平と原告らとの家族関係並びに弁論の全趣旨により右は原告はつに生じた損害であると認める。

3  逸失利益 金三七一万一、八八二円〔更正決定金九五二万七、一六三円〕

〔証拠略〕を総合すれば、亡順平は、本件事故当時五四才の健康な男子であつたところ、同亡人は昭和三一、二年頃から、豆腐業者用のステンレス製水漕ケースの製造を主とする鈑金業を自営し、同三八年に職人を一名雇い入れ、同四〇年に約二〇〇平方メートルのコンクリート製工場兼住宅を購入し、同四三年頃から機械化を進めてこれは同四五年にプレス機械を購入してほぼ完了したこと、車両も同四五年から四六年にかけて三台購入したこと、そして右機械化の完了により受注も増し繁忙となつたため、同四六年夏には一カ月間学生アルバイトを一名使用し、さらに同年一〇月には新たに職人を一名雇い入れたこと、職人二名に対する給料は月に約一七万円であつたこと、同四五年度の亡順平の申告所得額は金一〇一万〇、二三五円であつたこと、本件事故による同亡人の死亡によりその息子である原告恒平が家業を継いだが、同人は、事故当時は愛知工業大学に在学中だつたものであり、家業には疎く、技術面、経営面等において亡順平の生前の水準を保つことが困難であつたこと、そして同原告の昭和四七年度の申告所得額は約金一七〇万円に止まつた(このときの稼働人員は、原告恒平と同四六年一〇月からの雇用者並びに同三八年からの職人の三名であつた)こと、同四七年一月中旬同原告と原告小島郁子とは、税関係並びに被告らとの示談関係上亡順平の同四六年度の所得額を出すことが必要となり、隣人の公認会計士松本武司の指導を受けて、主に亡順平の記帳にかかる簡易帳簿、預金通帳、領収書、請求書等を調査し、集計した結果同年度の一一月二〇日までの右所得金額は二九四万四、三四二円となつたこと、以上の事実が認められる。然しながら成立に争いのない乙第一五号証、証人今西辰雄、同松本武司の証言によれば右同四六年度の所得金額を算出するための重要資料たる右簡易帳簿の二七頁、六一頁に記載のある「一月一七日大平洋工業売上七七万〇、二五〇円」については、正月の稼働状況(五日から稼働、従つて一七日までは一三日間)に照らすと、右は実質は前年度の売上げであることが窺われること、また同帳簿三三頁に記載のある「一一月二〇日丸文売上(一月分)一五万〇、五〇〇円」についても、同頁の「二月二五日当座預金丸文一五万〇、五〇〇円」の記載によつて、右売上が二月二五日支払期日の手形で同日入金されていることが窺えるが、他の受取手形の支払期間が三カ月であるに比し、右手形のそれは短かすぎるので、これも実質は昭和四五年度の売上げに属するものである疑いが残ること、そして現に機械化の完了した年度の所得額としては昭和四五年度のそれが少なすぎること、以上の事実が認められ、以上の認定事実を総合すれば、前記昭和四六年度の申告所得額はにわかに措信することはできず、実際の所得額は右申告額(一一月二〇日まで)金二九四万四、三四二円から少なくとも前記前年度の売上げである疑いの残る金額の合計金九二万〇、七五〇円を控除し(従つて、前年度の実質所得は、前記金一〇一万〇、二三五円にこれを加えた一九三万〇、九八五円以上であつたことになる)た金二〇二万三、五九二円の範囲内で控え目にこれを認定すべきであるところ、総理府総計局個人企業経済調査年報(昭和四六年度版)第一〇表によれば、全金属製品製造業の同年度における平均的営業状況は、従業員総数三・六五人(うち常用雇用者一・五二人、臨時雇用〇・二六人)で営業利益は金一八六万円であつたこと(これを従業員数二人に引き直すと、計数上は金一〇一万九、一七八円という数値を得る)が認められるから、以上認定の事実を総合(特に亡順平の鈑金業が機械化を完了して、業績が上がることが見込まれていたことを重く見るべきである)すれば同四六年度における亡順平の所得金額は、金二二〇万円であつたと認めるを相当とする。しかるところ、このうち亡順平自身がその労務等により収益に寄与していた部分は、前記認定の同亡人の用いていた工場、機械設備の規模、車両数、職人の使用状況並びに同亡人の経験年数等諸般の事情を考慮して、その八割五分と認めるのが相当であるから、結局同亡人が本件事故に遭わずして事業を継続していたならば、得べかりし利益は、年に金一八七万円であると認めるを相当とする。

そして、同亡人の就労可能年数はその職種等も考慮し、六三才まで九年間とし、また同亡人の生活費は家族構成等を考慮して三〇パーセントとするのが相当であるから、以上を基礎としてホフマン方式により年五分の中間利息を控除して同亡人の逸失利益の現価を算定すると次のとおり、頭書金額となる。

1,870,000×0.3×7.2782=4,083,070

〔更正決定 1,870,000×0.7×7.2782=9,527,163

4  慰藉料

本件事故の態様、亡順平の年令、家庭状況等諸般の事情を考慮し、亡順平並びに原告らの本件事故による精神的損害は左の各金員を以て慰藉するを相当とする。

(一)  亡順平の慰藉料 金一五〇万円

(二)  原告はつの慰藉料金八〇万円

(三)  原告恒平の慰藉料金六〇万円

(四)  その余の原告らの慰藉料 各金五五万円

一〇  小計

以上を合計すれば各原告ごとの損害は次のとおりである。

(一)  亡順平 金五五八万三、〇七〇円〔更正決定金一、一〇二万七、一六三円〕

逸失利益金四〇八万三、〇七〇円〔更正決定金九五二万七、一六三円〕+慰藉料金一五〇万円

(二)  原告はつ 金一二六万九、八三三円

(三)  原告恒平 金六〇万円

(四)  その余の原告ら各金五五万円

一一  相続

〔証拠略〕によれば、原告らは、原告はつが亡順平の妻、その余の原告らはいずれも右夫婦の子であることが認められるから、原告らは、それぞれ右亡順平の損害を、原告はつがその三分の一(金一八六万一、〇二三円)〔更正決定(金三六七万五、七二一円)、その余の原告らが各その九分の二(金一二四万〇、六八二円)〔更正決定(金二四五万〇、四八〇円)〕の割合で承継相続した。従つて原告らの前記固有の損害と右承継分との合計は次のとおりとなる。

(一)  原告はつ 金三一三万〇、八五六円〔更正決定金四九四万五、五五四円〕

(二)  原告恒平 金一八四万〇、六八二円〔更正決定金三〇五万〇、四八〇円〕

(三)  その余の原告ら 各金一七九万〇、六八二円〔更正決定金三〇〇万〇、四八〇円〕

一二  損害の填補

被告会社において前記九1、2認定の各金員を原告らに対し支払い済みであることは当事者間に争いがなく、また原告らが自賠責保険から金五〇〇万円を受領していることは原告らの自認するところであるから、以上の合計五四六万九、八三三円を、前段に判示した各原告の損害額に従い按分比例すれば、次のとおりである。

(一)  原告はつにつき 金二〇〇万二、二三二円〔更正決定金一九三万二、六五五円〕

(二)  原告恒平につき 金一一七万七、一六二円〔更正決定金一一九万二、〇八六円〕

(三)  その余の原告らにつき金一一四万五、一六四円〔更正決定金一一七万二、五四六円〕

そして前段判示の原告らの損害から右填補分を控除すれば次のとおりとなる。

(一)  原告はつ 金一一二万八、六二四円〔更正決定金三〇一万二、八九九円〕

(二)  原告恒平 金六六万三、五二〇円〔更正決定金一八五万八、三九四円〕

(三)  その余の原告ら 金六四万五、五一八円〔更正決定金一八二万七、九三四円〕

一二  弁護士費用

原告はつは弁護士費用として金七〇万円を請求するが、原告が複数おり、それぞれが同一の代理人に訴訟追行を委任した場合の弁護士費用損害は、原則として各人につき各別に発生するものとすべきであるから、右を各原告らに生した弁護士費用損害を請求しているものと解して、これにつき判断するに、原告らが本件訴訟の提起追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであるところ、本件訴訟の難易、経過、認容等諸般の事情を総合すると本件事故と相当因果関係ある弁護士費用の損害としては各原告ごとに次のとおりに認めるのが相当である。

(一)  原告はつ 金一一万円〔更正決定金二四万円〕

(二)  その余の原告ら各金六万円〔更正決定金一六万円〕

一三  結論

以上の次第であるから、被告らに対する原告らの請求のうち、原告はつについては金一二三万八、六二四円〔更正決定金三二五万二、八九九円〕、原告恒平については金七二万三、五二〇円〔更正決定金二〇一万八、三九四円〕、その余の原告らについては各金七〇万五、五一八円〔更正決定金一九八万七、九三四円〕、およびこれらのうちそれぞれ弁護士費用を除いた金一一二万八、六二四円〔更正決定金三〇一万二、八九九円〕(原告はつ分)、金六六万三、五二〇円〔更正決定金一八五万八、三九四円〕(原告恒平分)、各金六四万五、五一八円〔更正決定金一八二万七、九三四円〕(原告京子、同小島郁子分)に対する本件事故発生の日の後であること記録上明らかで原告らの求める各被告に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかなそれぞれ昭和四七年六月六日(被告会社について)、同月四日(被告小山田、同愛知県について)から、並びにそれぞれの弁護士費用金一一万円〔更正決定金二四万円〕(原告はつの分)、各金六万円〔更正決定金一六万円〕(その余の原告らの分)に対する本判決言渡の日の翌日から、各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余の部分は理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸山武夫 安原浩 小池洋吉)

見取図

〈省略〉

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